地域活性化という実験2(きっかけ)

2011年という転機

全ては2011年3月11日の東日本大震災でした。
それまで、自分が天災の被災者になるとは全く思わず、生きていることが当たり前という日々でした。それが、たった1日で世の中が変わってしまいました。例年、3月は帰省していたのですが、あのときは学会の手伝いがあって、宮城を離れていました。

もし、3月11日に宮城に居たら‥果たして、ちゃんと避難ができていたのか‥もしかしたら、情報が遮断されていたので、右往左往していたかもしれません。そして、中途半端に過去の歴史を知っていたので、津波が来るにしても、三陸ほど大きくならないだろうと勝手に思ったかもしれません。

今となっては、全て仮定の話です。
しかし、大きな転機になりました。一生分の不幸を一気に背負ったような感じでした。そして、何を目的に生きていくか、何ができるかを考える日々でした。

ようやく

精神面の諸々が、ようやく整ったのは震災から2年ほど経た2013年でした。
自分で何ができるかをずっと考えた結果、たどりついたのは「農業」という選択肢でした。有名人なら、呼びかけることで募金を集めることができたかもしれないし、医師だったらとか、経営者だったらとか、随分と考えたりもしました。しかし、どれでも無い自分の場合、あるものから考えることになった結果です。

たまたま入った農学部から、大学院の修士課程を経て、博士課程を修了し、ちょうど研究員をしていた頃でした。震災に関わる研究をしていたわけではなく、農学部の中でもかなり少数の雑草の研究をしていました。

津波が浸水した畑や、福島の原発の影響で避難した地域では雑草が問題となっており、雑草管理でも何か関われたらよかったのですが、どうせならば、津波の浸水した土地で新たな農産物を生産し、お金なり雇用が生まれるきっかけを作ろうと考えました。

津波の浸水した土地は、土盛りをするなど改良工事が行われていました。それでも、一部の地下水は塩水になっていたりして、塩害という言葉をよく聞きました。一方で、本当にそうだろうかという思いもありました。日本の場合、雨が多いので、土の表面の塩分は土の下層に移動するだろうと考えていたからです。

結局、報道だけを信じていると何も変わらないので、自分で試してみることにしました。

畑づくり

早速、母親の知り合いの縁をたどり、宮城県山元町に畑を借りました。そして、問題となったのは何を植えるかということでした。これまでの本や文献を探り、塩に対する作物の耐性を調べました。

山元町の名産であったいちごは塩に弱く、実際、訪ねた農家さんでもいちごが枯れていました。いちごは温室などの施設が必要な上に、農業をかじっていたとはいえ、急場しのぎの知恵ではどうしようもないので、まずは塩にある程度強く、栽培が簡単なものを考えることにしました。

そして、当初思いついたのは「ヒエ」でした。ヒエと言ってすぐに頭に思い浮かべることができる人は少ないかと思いますが、米と同じイネ科です。津波の浸水した土地にはイヌビエという雑草のヒエが繁茂していたので、栽培種のヒエも育つだろうという発想でした。多少、雑草の知識が活きました。

しかし、色々と調べると、ヒエは熟すと種子が落ちやすくなるので、刈り取りの時期を誤るとヒエが野生化してしまう恐れがありました。一般的に、作物は人間が利用する種子は落ちにくいように改良されているのですが、栽培種のヒエは雑草に近かったため、そのような問題がありました。

また、収穫後の利用方法も名案が浮かばなかったので、断念して、最終的に「ダイズ」を育てることにしました。震災前から、ダイズが栽培されていたということ、ダイズであれば豆腐、醤油、味噌の原料になるので、加工にも向いていると考えました。そして、津波が浸水した水はけの悪い土地でも育つように、比較的、水はけの悪い土地でも育つといわれている品種をわざわざ滋賀県から取り寄せました。

新幹線農業

当時は栃木に住んでいたので、始発の新幹線で宮城に向かい、農作業をして夜に栃木に戻るという生活が始まりました。日中の限られた時間での作業でしたが、農家さんに手伝ってもらいながら、ダイズの種をまくことができました。近所のホームセンターで資材を買ったり、長靴を持参したりしました。

その後、ダイズは芽吹き、育ち始めたのですが、2013年は秋の長雨となり、ダイズの実がほとんどつかない不作となってしまいました。塩害の影響がないことは確認できたのですが、肝心のダイズを活用した加工品は作れなかったので、不完全燃焼のまま1年が過ぎてしまいました。

農業の場合、時期を逃すとまた1年後になってしまうため、ダイズ栽培が終わった冬から、翌年(2014年)のことを考え始めました。地元で昔から栽培されていた作物を聞いたり、色々な本を読んだりして考えた結果、「さつまいも」に至りました。

文章にすると大した文量にならない経験でしたが、失敗は活きました。実際に栽培することで、ダメなことが分かり、次の展開が開けたのは十分な収穫となりました。もちろん、その当時、さつまいもがちゃんと成功するかは分からないままでしたが。

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