昨今は農業は環境に優しくなければいけないとか、有機栽培がいいとか、除草剤を減らせとか殺虫剤は良くないということになっています。

そもそも、農業は自然か反自然かと言えば、どう考えても反自然の行為だと思うのですが、農業は自然の中の産業と勘違いされています。改めてなぜ農業が反自然なのかについて書いてみたいと思います。

自然の状態とは?

自然の状態で、イネやイチゴが一面に広がる光景は自然に存在しません。これは、人間の管理が加えらえているからです。

作物の祖先とされている雑草は自然の一部だけど、作物は人間が使いやすいように改良しています。この点だけでも、作物自体が自然とは別個の存在であることが分かると思います。

無農薬の野菜

まず、無農薬野菜が本当に美味いのかということについて、不味くなる場合の事例は実際に体験したことがあります。昔、研究室に有機農法に行き詰った若者が野菜を持って来たことがあり、そのレタスを食べたら苦くてまずかったです。

その理由は、野菜が虫や病気が増えれば自分の身を守るために、苦くなったり酸っぱくなる成分を出すということが考えられます。例えば、ワラビなどの山菜にはアクが多いのは、これも自己防衛のためと考えられます。

アクも言いかえれば毒であり、ワラビには微量の発がん物質も含まれています。もしかしたら、昔、山菜ばかり食べていた人は命を縮めていた可能性もあります。

野菜も先祖(雑草)の血があるから、放置したらまずくなることが十分考えられます。それを美味しいという人もいるかもしれませんが、科学的に差があるかというと疑問が残ります。

有機栽培=土地の味がする=だから美味い的なイメージもあるかもしれません。良くも悪くも現代は情報で食べる時代になっています。

野菜と果物

ここで例え話をすると、野菜は犬とか猫みたいなもので狼やライオンではありません。だから、野菜は手間をかけないと美味しくならないし、本来10ある収穫が2とか1になってしまいます。それを狼やライオンのように放置(無農薬、無肥料)というのには無理があります。

特に、モモやリンゴのような果樹はかなり大きいのですが、野生の果実は非常に小さいのが普通です。だから、モモやリンゴは自然界では奇形とも言えます。奇形である以上、虫も病気も寄って来るので、何らかの世話を必要とします。

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(大粒のくだもの)

農業の歴史

もちろん、無農薬、無肥料を目指すという人がいれば、それは個々人の考え次第だと思います。歴史を振り返れば、農民は土地作りに一生をかけて肥料を投入し、とうがらしやにんにくをすりおろした液体で虫や病気対策をしたり、草を刈ったりして必死に農作物を育てています。それは記憶にとどめておいて欲しいと思います。

農薬や肥料が十分に使えるようになったのは、農業の歴史からすれば、せいぜい50年位だと思います。鎌倉時代から戦前までの歴史は700年位あるのですが、その700年のうちに無農薬、無肥料の栽培技術が開発されなかったことは、無農薬、無肥料が理にかなわない農業であることの証明かもしれません。

明治時代になっても米の収量は大して無くて、今の時代は明治時代と比較すれば同じ面積の収量が倍近くに増えています。この理由は、ひとえに品種改良、除草剤、殺菌剤、殺虫剤、農業機械の進歩です。

だから、昔の人にしてみれば、平成の人が躍起になって無農薬とか無肥料を叫んでいるのを見たら笑ってしまうかもしれません。この原因は、たぶん食料余りにあると思います。食べることに困らなくなると、理屈や思想が全面に出てくるような気がしています

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(人間によって管理された畑と水田)

まとめ

以上のように、農業は自然の中にありながらも人間が作りだしてきた極めて人工的な存在です。今の時代の基準で解釈するのではなく、せめて江戸時代くらいまでさかのぼり、比較検討をしてみると見えてくることがあります。

あまり目先のことだけを追いかけていると、流行にだまされて何も残らないし、抽象的な議論で終わってしまいます。このことは、自戒の念を込めつつ書いてみました。


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