何かをやってみたい!‥と思うだけマシという考え方もありますが、アイデアだけ語る人、批判だけする人、実際に行動する人などなど様々なタイプに分かれるようです。

やりたいこと

自発的に発言したり、何かに書いたりしないまでも、大体の人は何かやってみたいことは1つ、2つあるように思います。全く無いという人でも問いかければ何かは出てきたりします。

中にはやりたいことがたくさんある人もいます。そういう人は、大体、地域活動や趣味などに熱心で、地元では顔の知られた存在になっています。そして、イベントの中心として存在していることが多々あります。

やりたいことが実現していて、十分に周囲とも上手く調和していれば良いのですが、中にはやりたいことを抱え過ぎて自分の出来る範囲を超えてしまっている人がいます。

困った表情の2人結果的に、やりたいことが周囲の人の迷惑になったり、関わっている人達が疲れてしまうというイベント病のようなものとなってしまいます。

やれること

『やれること』は、よく『やりたいこと』と対比で語られると思うのですが、案外自分の『やれること』を冷静に見つめることは難しいようです。いくつかのイベントをこなしていくうちに、自分の『やれること』が広がっているのも事実ですが、実際には周囲が支えている場合があります。

周囲の支えに気が付けば、自分の『やれること』を考えるきっかけになるはずなのですが、そこに気が付かないと『やりたいこと』だけがどんどん増えていき、『やれること』は誰かが担うという悪循環となります。

こういう悪循環は、いつか何かの形で爆発し、イベントの中止や人間関係の崩壊となっていきます。そうなってから気が付いても遅いのですが、地方ではそういう光景をよく目にすることがあります。

ふりかえる

どうすれば、『やりたいこと』と『やれること』のバランスが取れるのか?中々明確な答えが浮かんできませんが、1度立ち止まって、過去を『ふりかえる』ことが大切だと思います。

『やりたいこと』が山ほどある人にとって、立ち止まることは中々容易では無いと思うのですが、周囲の人と良く会話をし、誰が何をやってくれたのかを書き出してみると目で理解することができます。

メモ帳想像しているよりも、多くの人に支えてもらっていたことに気がつければ、自分の『やれること』の範囲が案外狭かったことを知ることができると思います。

もちろん『やれること』は経験とともに増えていくとは思うのですが、『やりたいこと』と『やれること』のバランスがちゃんと取れているかは定期的に確認しておく必要があります。

許容性

『やりたいこと』に対する想いが強くなると、同じ『やりたいこと』を持っている人とはとても合うのですが、方向性の異なる人が許せなくなってくるようです。

連帯感というか、同じ方向を向いている人であれば話は合うし、反対意見も出て来なくなります。全て肯定されるのでどんどん楽しくなっていきます。

会話しかし、方向性の違う人はどんどんと離れて行くので最終的な活動は先細りとなってしまいます。考えの合う人だけが集まって『やりたいこと』をするのも良いとは思いますが、多くの人を巻き込む必要のある地域活動には向いていないかもしれません。

『やりたいこと』の同じ人達が集まると、宗教的な方向に進むことになると思います。上手く進んでいるうちは何の問題も無いのですが、同じ言語で会話をしていても、何十年も寄り添っていても理解し合うことが難しいのが人間の本質なので、次第に疑心暗鬼となり、互いを傷つけあったりします。

余裕

結局は、仕事にも遊びにもある程度の余裕が必要なのかもしれません。多少右に動こうが左に動こうが、余裕があればバランスを保つことができます。余裕が無いと意地を張ったり、排除しようとしてしまいます。

では、余裕はどうすれば生まれるのか?やはり、客観的にモノゴトを捉えるということに尽きると思います。1度、他人になったつもりで、今自分の『やりたいこと』を見れば、本当に『やれること』なのかに気が付けるはずです。

先ほど書いた『ふりかえり』と合わせて、定期的に立ち止まる機会を設けないと、どんどん自分中心になっていき考えの異なる人を寄せ付けず、結果として自分も疲弊してしまうことになります。下手に実績を積み重ねてきたもの程、根拠の無い自信の原因になっているので注意が必要だと思います。


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