1年が長いか短いかはともかく、1年経つと世の中がだいぶ変わっている気がします。単に気が付かないだけで、今まであったものがどんどん無くなっていて、今まで無かったものが新しく生れているようです。

農産物も一期一会

いつも、お昼を食べている宇都宮市の優食キッチン(出身地である宮城県山元町でお世話になっている菅野京子さんの万能だれをメニューに使ってもらっています)では、毎年この季節になると『大塚さんのトマト』が並んでいました。

箱入りのトマト

お店の店長がトマトの味に惚れ込み、ほとんどは市場で仕入れているのですが、こちらのトマトだけはわざわざ畑まで行って仕入れに行っていたトマトでした。

そんなトマトでしたが、時の流れには逆らえずもう店頭に並ぶことはありません。1人でトマトを作っていた大塚さんが亡くなったそうで、後を継ぐ人は誰もいないためです。品種はもしかしたら、全国で作られている桃太郎だったのかもしれませんが、大塚さんの畑で大塚さんが作ったトマトは無くなってしまいました。

戻らない農作物の味

虎は死んでも皮が残るかもしれませんが、農作物は無くなれば終わりです。味の記憶が食べた人に残るくらいかもしれません。同じ品種でも、作る人によって農作物の味は変わってきます。

寂しいことではありますが、これも1年で起きる様々な出来事の中の1つなのかもしれません。現在も、農家さんの高齢化は進んでおり、全国ではこのトマトの例以外にも多くの農作物が惜しまれながらも消えている状況だと思います。

もちろん、時代とともに消える・無くなることもあるからこそ新しい物事が生れるということがあります。それでも、美味しいと食べ続けていた農作物がある日、食卓から無くなるのは寂しいものです。

消費者に出来ること

一方で、消費者にも何か出来ることはあるのではないか?と考えてみることも大事だと思います。今は資本主義の時代なので何をするにしてもお金を介在します。

簡単に考えれば、儲かる仕事は残り(誰かが引き継ぐ)、儲からない仕事はどんどん消えていきます。中にはお金じゃないという考えで仕事をする人もいると思いますが、やはりお金がある程度残らないと事業の継続は難しいと思います。これは工業などに限らず、農業でも同様だと思います。

そんな時、我々消費者は農産物が無くなることに対してどこまでその農産物を買い支えていたかを改めて考える必要があると思います。都合のよい時だけ利用していなかったか?‥という問いは必要ではないでしょうか。

買い支える

話が、農作物から離れますが、今、週1程度で通っているお寿司屋さんがあります。2014年の7月に開店したので、あと数カ月で2周年となります。

こはだ

こちらのお店は、地域の平均レベルを飛びぬけていて、しかも値段は週1でも通えるようになっています。と、言うことはお店の方がそれだけリスクを負っている(原価などで)ということです。しかも、カウンターの7席だけの営業です。

よく、『良い商品を出していれば認められる』という言葉を聞きます。確かに、正論ではあるのですがお店の側の忍耐と、それを理解できる顧客がどれだけその商品を利用するかということに尽きると思います。たまに利用し、無くなった時にもったいなかったと言っても遅い場合が多々あります。

普段の生活の中で

話がトマトからそれましたが、生活の中に自分の好きなものを上手く取りこんでいくことで、作り手を支えることが出来ると思います。そういう意識を持つだけでも意味のあることだと思います。

個人で出来ることは限られているように思いがちですが、意識して行動してみると案外、出来るものだと思います。要は行動に移せるかどうかが大事なのではないでしょうか。もう店頭に並ぶことの無いトマトを思いながらそんなことを考えました。


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