先日、東京駅の近くで開催されたイベントに参加したのですが開場まで時間があったので周囲を散歩していました。

その時、銅像が目に入り誰だろうと近付いてみたら「渋沢栄一」でした。渋沢栄一というと明治初期の実業家という程度の認識しかなかったのですが、何となく気になる存在でした。そんな折、鹿島茂著の「渋沢栄一(上)(下)」という本に出会いました。

今回は、この本の中で特に気になった部分を今考えていることと合わせて書いてみたいと思います。

才能と感性

この本(非常に分厚い)を読みながらずっと考えていたのは、未知の物事に遭遇した人間がどういう態度で向き合っていくのが良いかということでした。

農民で生まれた渋沢が、時の流れで徳川最後の将軍・慶喜の家臣になり、更には大蔵省に勤めたあげく最後は実業家として昭和6年まで生きた姿を見ていると、学校の勉強だけでは満たせない何かを持っているとしか思えないわけです。

もちろん、学校で教わることが全てでは無いのですが、物事を受け止める感性はどうすれば磨かれるのか、才能とは何なのかということを考えるよい機会になりました。

基礎の大切さ

幼少期の渋沢少年は漢籍を学んでいたようです。今を生きる人間にはよく分からない世界ですが、江戸期の儒教やその他の漢籍による教育は、明治に活躍していた人達の教養という下地になっていたようです。

既に大正になれば、そういう人々も減りはじめていたようで物事の考え方もだいぶ変化していたようですが、やはり教育がその時代の人の行動や思想に与える影響はかなり大きいようです。

書籍

読みやすい物語から入り、読書に親しんだ上で難しい本に進んだようです。一方で、意味が分からなくてもひたすら読んで一字一句暗記させる方法もあったようで、お経を暗記させるようなものかもしれません。それでも、文章を読むという習慣を身に付けさせるには良い方法かもしれません。

学ぶこと

ともかく、漢籍で思考の基礎を作った渋沢が時の流れでフランスに派遣されます。全く異次元の中に行く訳で、平成の海外旅行とは全く違う訳ですが、滞在した1年ちょっとの間で様々なことを学んで帰国に至ります。

これは凄いことだと思うのですが、本を読む限りそれほどの苦労無く過ごしてたようです。少なくても夏目漱石のように精神面が厳しくなるようなことはなかったようです。もちろん、海外に行けば誰でも学んでこれるという訳ではなくて、

『外国に暮らしたからといって、だれでもが「学ぶ」わけではない。学ぶ能力のある人間だけが学ぶのである。』

渋沢栄一(上)275ページ

という指摘は今でもその通りだと思います。学ぶ人と学べない人の差は一体どこにあるのかと考えてしまいます。一つは意識の差かもしれません。後は、使命感とか危機感のようなものが無いと意識して世の中を見ることができないのかもしれません。

被災地に応用する

歴史から何かを学ぶというのは、簡単そうで以外に難しいものです。今回、渋沢栄一のことを書いたのは単に読書の感想文を残そうと思った訳ではなくて、東日本大震災の被災地での活動に何か応用できないかと思ったからです。

それというのも、自身の出身地が宮城県山元町という小さな町で、今、ささやかながらも復興に向けた活動をしているからです。

旧坂元駅ホーム

成功しているとされる地域に学ぶことも大事なのですが、それだけではちょっと物足りないとずっと思っています。やはり、二番煎じでは無くて、独自の手法を抽出する必要があると思っています。そのためにも、歴史から学ぶことは大事だと思っています。

復興の定義は様々あると思いますが、「お金が動く」ことが一番大切だと思っています。やはり、経済として成り立たなければ助成金やボランティアの切れ目が活動の切れ目になってしまいます。そのようなことを避けるためにも、日本の資本主義の先駆けとなった渋沢栄一の軌跡は何か参考になるのではないかと思っています。

気になった記述

ここで、本の中に書かれていた興味深い記述を二点引用したいと思います。

『(前略)明治の人は、人材の採用に当たっては、まず、その人物を見るにしかずとばかり、なにかを口実に、直接その人の家を訪問するということが多かったらしい。たしかに、そういわれてみれば、顔を見て、話を聞けば、人間の九〇パーセントは評価できてしまうものである。明治政府の強さは、こんなところにもあったのである。』

渋沢栄一(上)415ページ

面白い指摘だと思います。面接だけで人の才能を見抜くには、面接する人の資質が大きく関わってくるので全てに当てはまらないかもしれませんが、実際に会って話すことで色々なことが分かるのも事実です。さらに、もう1つの記事ですが、

『三野村にとって「私」とは、これすなわち三井であり、三井の利益と繁栄のみが問題なのである。これに対し、渋沢の考える「私」とは、極端にいえば「個」としての日本人すべてなのである。

渋沢栄一(上)452ページ

ちなみに、三野村とは三野村利左衛門のことで三井の大番頭のことで、今風に言えば三井の役員ということになると思います。

なぜこの文章が気になったかというと、今の被災地や地域創生で注目されている地域に当てはまるからです。「三井」という部分に企業名や地域の名前を入れると良く理解できると思います。

もちろん、成功者を増やすことも大事なことなのですが、それらは点でしかありません。本文に戻れば、

三井ひとりが栄えるのでは、旧体制といささかも変わらない。

渋沢栄一(上)452ページ

ということになってしまいます。

競争社会と平等社会

競争や自由は尊重しながらも、一定の倫理や滅私が重要であるということだと思います。だからと言って、ユートピアのように全員平等という考えでもありません。

今、説明の難しいことを書いてしまい、どうまとめようかと思いながら文章を綴っています。1人や1団体の成功で留めるのではなくて、成功事例を周囲にも波及させたいと常に考える人々を増やしたいということです。

競争をしつつも平等に振る舞うというのは一見、矛盾しているのですが、渋沢栄一の軌跡を見ていると現代にも通用する考え方だと思っています。もちろん、言うは易く行うは難しですが。

さいごに

渋沢栄一(上)の9ページ、まえがきにも面白い指摘があるので最後に引用したいと思います。

『金儲けは決して悪いことではないが、自己利益の最大化だけを狙っていくと、どこかで歯車が逆回転し始め、最後は破産で終わる。世間や社会が許さないということではなく、資本主義の構造がそのようになっているから。』

このことを著者は「損して得取れ」の発想と指摘しているのですが、歴史を振り返れば金儲けに限らず、その通りになっています。こういう発想を持ちながら行動することは、単に本で学ぶだけでは難しく、様々な経験を経て至ることかもしれません。

及ばずながら、自分自身も思想と行動を伴った人間になってみたい、同時に優れた人を育ててみたいと思いながら日々を過ごしています。


人気ブログランキングへ