出身地である宮城県山元町は福島県との県境の町です。震災以降、この町は大きく変わりました。正確には変わらざるを得ませんでした。

震災から4年が経過し、5年目を迎える現在でも日々変化している途上段階です。2014年に、自身の目で現実を捉えておこうと考え、沿岸部を歩いた際の記録を写真とともに紹介したいと思います。

2014年10月の宮城県山元町

山元町に向かうためには仙台駅から常磐線(じょうばんせん)に乗り、亘理駅(わたりえき)から代行バスに乗り換える必要があります。

代行バスに乗り、役場の敷地にある山下駅を経由して坂元駅(さかもとえき)に到着しました。駅といっても、国道六号線沿いのバス停です。

車窓の風景坂元駅の手前に、沿岸部の見える場所があります。バスの窓からは常磐線の建設風景が見えていました。その奥の平地にもかつては多くの人々が住んでいました。

旧坂元駅へ

バス停を下り、沿岸部に向かうとかつての坂元駅があります。高校生の頃はその駅を使って仙台まで通っていました。また、上りは福島を経由して上野まで繋がっていましたが、震災と原発の影響で遮断されています。

ゆがんだ橋橋の欄干がゆがんでいます。震災時、津波が川を遡った影響がまだ残っていました。秋の日差しは思いのほか強く、周辺には秋の草が生い茂っていました。

旧坂元駅のホーム

2015年に取り壊されたため、現在は残っていない旧坂元駅のホームに立ちました。壊すこと、新しくすることも大切なのですが、遺すこと、伝えることはそれ以上に重要なことだと思います。残念ながら、今は写真で振り返ることしかできなくなりました。

旧坂元駅ホーム  旧坂元駅ホーム2

かつて線路のあった場所は土だけとなり、フェンスは倒れていました。この場所から東側に海があり、西側に下車したバス亭が位置しています。また、南には福島県があります。ホームからは、ただ無言で周囲を見渡すことしかできませんでした。

仏像ホームに仏像が置いてありました。これは、2013年に自作して宮城を訪れた際にホームに置いてきたものです。雨と風を受けて壊れた部分もありましたが、見つけた際には感慨深いものがありました。

沿岸の道を歩く

その後、南に向かって歩きました。行き交うのは大型のダンプカーばかりで、歩いている人は誰もいませんでした。周囲を見ながら歩いたのですが、時折、ここがどこであるか分からない程に変わっていました。構造物が無いと何も分からない状態でした。

倒れた杭道の脇に倒壊した杭には「山元町」の文字が刻まれていました。どことなく墓標のようにも見えました。また、枯草の横できれいな花が咲いていました。

花秋の日差しの中で、何を考えていたのか‥今となってはこの写真だけが記憶をたどる手段ですが、あまりよく覚えていません。ただ、風が吹き、鳥の鳴き声を聴き、時折、勢いよくダンプカーが通り過ぎて行きました。

影感覚では残っているものがあるのですが、いざ言葉にしようとすると思うように浮かんできません。沿岸部の風景は心で捉えるしかないのかもしれません。

浄土の風景

歩き続けると、湿地がありました。ふと、岩手県の毛越寺(もうつうじ)の浄土庭園が頭に浮かびました。奥には電線があり、立派な石も庭木もありませんが、陽の光を反射する水面はきれいに輝いていました。

湿地今から約1年前の景色ですが、写真の場所はだいぶ変わっているはずです。宮城には定期的に行っているのですが、これらの場所には1年前に行ったきりです。

変化に対して自分の感覚が付いていけないという思いがあり、足が向かないというのが正直なところです。それでも、いつかはまたこの景色と向き合う日が来ると思っています。


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